おしえて!おそらさん

日本人って、どんな風にお化粧してきたの?

昔があるから今がある
日本のお化粧こぼれ話

Y菜さん

20代半ばOL。乾燥肌。冷え症なのが悩み。

N美さん

40代後半主婦。テニスが趣味。肌のくすみが気になる。

編集者

30代前半フリーランス。しみ、大人ニキビが悩み。

おそら

多分、赤土ですね。古代の人々は酸化鉄、硫化水銀、酸化鉛(IV)などを多く含む赤い土を顔や体に塗って魔除けや再生を願い、神への畏敬の念を表しました。これが化粧の始まりだとされています。

Y菜

どうして赤土なんですか? たくさんあったから?

おそら

そうですね...赤は太陽、炎、血の色です。そこになにか神聖なものを感じたんじゃないでしょうか。

N美

ああ、そういえばハニワの顔が赤く塗られている写真を見たことある。大昔の日本人もそう感じてたのね。

編集者

『魏志倭人伝』には「倭人は赤色を体に塗る」という一文がありますよ。あと、『日本書紀』の海彦山彦神話だと、海彦が赤土を手や顔に塗って弟の山彦に忠誠を誓った、とあります。これは化粧に関する国内初の記述ですね。

●飛鳥・奈良時代(592年~794年)

おそら

6世紀後半、大陸や半島文化とともに、紅・白粉(おしろい)などの化粧品が輸入されます。この時代になると化粧は儀式的なものから、美しさを求めるためのものになってゆきますね。

Y菜

このころの美人って唐風のふっくらした顔に切れ長の目、ですよね。正倉院の「鳥毛立女屏風」みたいな。

編集者

初の国産白粉がこの時代に出てますね。献上された持統天皇はとても喜ばれたそうで。そして713年には三重県で伊勢水銀(いせみずがね)が発見されるという大事件。

N美

白粉は女性天皇にはうってつけのプレゼントよね。けど、水銀の発見ってお化粧となにか関係あるの?

おそら

水銀は白粉の原料だったんですよ。伊勢水銀を原料とする伊勢白粉は公家御用達となり、和の化粧の基本アイテムとして大いに栄えるんですね。

●平安・鎌倉時代(794年~1333年)

編集者

894年に遣唐使が廃止。そこから国風文化が発達しはじめます。お化粧も美女の条件も国風になっていくんですね。

Y菜

平安美女の第一条件といえば、丈なす黒髪。洗うの大変だっただろうなー。

おそら

そうなんですよ。そのうえ洗髪には禊ぎ(みそぎ)的な意味もあったので余計にややこしい。シャンプーする日もいちいち占いで決めたんですよ。

N美

ちょっとした行事並みね。洗うのにはなにを使ってたのかしら。水だけ?

おそら

いえ、灰を溶かした水の上澄み「灰汁(あく)」を使っていたようです。濡れ髪は、香炉の火で乾かしました。

Y菜

電気がないから乾かすのも一苦労ですよね。そうそう、顔を真っ白に塗ったのも電気がなくて家の中が暗かったのが原因ですよね。ホントに真っ白! に塗ってようやく暗い中で引き立ってキレイに見えたんだって。

N美

へぇ、なるほど。白い顔にするための白粉は、さっき出てきた伊勢白粉?

おそら

上流階級は伊勢白粉ですね。庶民は鉛白粉や、お米や粟のデンプン白粉を使っていました。

編集者

お歯黒が定着したのも、白塗りの顔が原因だとか。顔が白いと歯の黄色が目立つので、黒く染めてしまったという。

N美

そういえばお歯黒って虫歯予防になるのよね。古墳から出るお歯黒の歯、虫歯がほぼゼロだって。ちょっと惹かれない?

Y菜

えー、虫歯はイヤだけど歯が真っ黒なのもイヤです~(笑) ところで、お公家さんの「まろ眉」はどうしてあんな上のほうに描いたのかな。なにか理由があるんですか?

おそら

ああ、茫眉(ぼうまゆ)。そうですねー、眉は感情が強く表れるところですよね。それが無くなることで静かで高貴な雰囲気になるという美意識があったようです。あと、茫眉を描ける「ステイタス」を誇示する目的も。

●室町・安土桃山時代(1336年~1603年)

編集者

この時代になると権力が貴族から武士へ移り、世の中が落ちつくにつれて文化の発展が始まりますね。戦乱で乱れた秩序を回復しようと、礼儀作法が細かく規定されたり。

おそら

ええ、そのせいで化粧にも細かな決まりができました。眉の形も、身分・職業・年齢などで決まっていたんですよ。

Y菜

うわ、なんか面倒くさい...。石鹸が日本に登場するのって確かこのころですよね。国産だったんですか?

おそら

いえ、国内ではまだですね。当時はスペインの石鹸工業最盛期で、それを外国商人が持ち込んだんでしょう。貴重品だったので、主に薬として使われていたようです。

編集者

体を洗うものとしては小豆や緑豆の粉、米ぬか。シャンプーはフノリやうどん粉を湯に溶かしたもの、粘土、火山灰、サネカズラなどが一般的だったようです。

●江戸時代(1603年~1868年)

編集者

江戸になると町人文化が発達して、粋(いき)などの概念が生まれますね。また、白粉がベースメイクとして定着します。

おそら

1650年ごろ、本格的な鬢(びん)付け油が誕生します。これを使うことで、より凝った髪型が可能になったんですね。主原料は松ヤニとロウ。武士がヒゲを整えるために手作りしていたワックスのようなものから発展したんだそうです。

編集者

よほど流行ったんでしょう、1670年ごろには歌舞伎役者がプロデュースした鬢付け油店が出ていますね。

おそら

流行といえば... 1804年ごろ、花魁(おいらん)たちに「笹口紅」が流行ってますね。口紅を濃く付けて玉虫色に光らせるんです。

N美

このころの口紅は紅花が原料でしょ。そんな高いものを重ねづけ?

Y菜

その高いのをパーッと使うのがカッコいいんじゃないかな。ほら、花魁って芸能人みたいなものだから。

おそら

多分そんなところでしょうね。笹口紅は庶民にも流行りましたが、庶民はそんな贅沢な使い方できないので... まず下地に薄墨を塗り、その上に紅を塗って同じ効果を出しました。

Y菜

あのね、庶民が使う鉛白粉って鉛が入ってますよね。そんなのものを肌に塗って、大丈夫なんですか?

編集者

いや、実は白粉による鉛中毒は結構あったようです。歌舞伎俳優などには特に多かったとか。また、このころには中国の安い鉛白粉が普及していて、それも被害拡大の一因だったかもしれません。

N美

お化粧が原因で身体を壊すなんて、悲しいわよね。白粉には薄塗り、厚塗りみたいな流行はあったの?

おそら

そうですね... 関東では薄化粧が、関西は濃艶な化粧が好まれたという違いくらいでしょうか。でも、薄く塗るほうが上品という認識はあったようですよ。

Y菜

江戸時代の化粧水=ヘチマ水、って印象ですけど、ヘチマ水って「商品」として売ってたんですか?

おそら

そのようですね。『浮世風呂』の著者、式亭三馬も自家製ヘチマ水を売り出してます。小ぎれいなビンに詰めて「江戸の水」と名付け、自著でも宣伝。ニセ物が出るほど売れたそうですよ。

●明治時代(1868年~1912年)

おそら

1870年には華族にお歯黒と眉そり禁止令が出ます。社会的記号としての化粧はここで終わりですね。あと、このころからスキンケアという概念ができてきます。

Y菜

あ、だからかな。ベルツ水って明治時代に出たんですよね。医薬部外品で今でも売ってますよ。

N美

じゃあ、洗顔石鹸なんかも大分普及したの?

編集者

いえ、庶民が石鹸を普通に使いはじめるのは明治も後半になってかららしいです。明治初期は江戸時代とあまり変わらなくて、ぬか、あかすり、軽石、フノリなどで洗っていたようですね。

Y菜

ぬか袋は今でも重宝ですよ~。肌の調子が悪くて石鹸がしみるときはぬか袋が一番!

N美

そうねぇ。私もかかとの手入れ、結局最後は軽石にもどるわ。あと、髪には椿油。江戸コスメって何気に優秀よね。

編集者

19世紀、江戸は世界に冠たる大都会だったんです。人が多いと需要も増えるから、いい商品が出たでしょうね。

おそら

そうですね。ただ、鉛白粉はまだ野放しに近い状態で... 1894年には歌舞伎役者が鉛中毒で重体になる事件も。1900年にようやく無鉛白粉ができますが、それでも昭和はじめに製造禁止令が出るまで鉛白粉は売れ続けたんですよ。

Y菜

ええー! そんな毒だって分かってるものを、なぜ買うかな?

おそら

実はね、鉛が入っているほうがよく延びて、化粧もちもいいんですよ。しかも安かったから。

編集者

水銀白粉の伊勢白粉も、このころには製造過程での水銀中毒が問題になってますね。

N美

キレイのためなら命がけ... 分からないことないけど、でもやっぱり健康が第一よねぇ...。

●大正時代(1912年~1926年)

編集者

大正は女性の社会参加が進んだ時代ですね。バスガールや女性記者など。

おそら

そうですね。それにつれて、メイク法もいろいろと研究されだしました。1915年には竹下夢二のイラストを宣伝に使ったヘチマ化粧水が大ブレイクしたりも。

Y菜

そのヘチマ化粧水、今でもありますよね。お手頃価格だから学生時代にはよく買いました。

おそら

このころから色つきの白粉も出はじめます。あと、口紅も紅花のものから顔料・染料を配合したスティックタイプへ移行していきますね。

編集者

クリームや乳液なども出て、化粧の洋風化が進んだ時代ですね。

N美

モボ・モガの時代だものねー。断髪にクロシェ帽スタイルなんて、今でもちょっと素敵って思うわ。

●昭和時代・第二次大戦前(1926年~1945年)

編集者

1932年に、石鹸系の固形シャンプーが発売されてますね。週一回はシャンプーしよう、というキャンペーンも。それをきっかけにして「シャンプー」という言葉が日常語になったようです。

おそら

そして2年後の1934年、鉛白粉の製造禁止令が出されます。

Y菜

ここでようやく鉛白粉が消えるんですね。

おそら

そう。ようやく、ですね。この年は世界初の油中水型乳化クリーム(w/o型乳化)が発売された年でもあって。世界初の女性ホルモン入りクリームでもあったので結構話題になってますね。油性白粉(練り白粉)や油性クレンジングクリームもこのころにお目見えしたようです。

N美

でも、ここからしばらくはお化粧どころではなくなるのよね。

編集者

「贅沢は敵」の時代ですね。当時の文部省からは口紅や白粉、頬紅の禁止令が出たそうです。化粧品を文部省が規制するっていうのも妙な話ですね。

Y菜

なんか、そういうところにも時代の性格が表れてますよね...。

●昭和時代・第二次大戦後(1945年~1989年)

編集者

1953年には最後の伊勢白粉メーカーが廃業していますね。洋式の第1塩化水銀の製法が普及したことと、医薬品の法的規制がきつくなったことが主な原因だったようです。

Y菜

飛鳥時代からの歴史がとうとう終わったんですね。じゃあ、今の舞妓さんが塗ってる白粉に水銀は...?

おそら

入ってませんよ。今の白粉はカオリンやタルク、酸化亜鉛などからできてますから。そして、これ以降はファンデーションの時代ですね。1961年には、汗で落ちない「パンケーキ」が発売されます。

N美

雑誌なんかで時々見るんだけど、そのころのお化粧ってすごく凝ってるのよね。つけマツゲも上下バッチリ。一生懸命に西欧型美人を目指してるって感じ。

おそら

昭和40年代は一般女性が普通にメイクをするようになったんですね。「小麦色美人」が注目されて、色白至上主義もなくなって。

編集者

高級アルコール系シャンプーや、親水性のクレンジングクリーム(o/w型)の発売。化粧水も肌質ごとに製品を分けたりpHに配慮してみたり... いろいろ工夫が始まったのがこの時代ですね。

おそら

そう、「しっとりだけどさっぱり」が要求されるなど、私たち技術者の苦悩が始まるのもこのころからです(笑) あと、水溶性の男性整髪料もこの時期に出てます。それまでは油性ポマードやチックが主流だったので、結構画期的でしたね。

編集者

1970年ごろになると、欧米人にはない日本女性としての美しさが求められだしましたね。1972年には日本人モデル山口小夜子さんがパリコレに出演して人気を博したりしてます。

N美

80年代には日本メーカーから「バイオ口紅」が出たわよね。これって、すごいことだったんでしょ?

おそら

そうなんですよ。バイオ口紅に使われた色素シコニンは、ムラサキという植物からほんの少ししか取れない貴重品だったんです。それを、バイオ技術で大量生産に成功したんですよ。

Y菜

シコニン、紫色を出すのに使ったんですか?

おそら

いえ、さすがにそこまで大量に使えたわけでは... 抗炎症作用があるので、荒れ止めですね。あと、保湿。でも、とにかく植物の細胞を培養してこんな風に応用できたのは世界初だったんですよ。

●平成時代(1989年~)

N美

平成っていったら、まずは小顔に茶髪ブームかしら。それまでは一般人が髪を染めるのは白髪隠しくらいのものだったんだけど、それがオシャレとして認知されたのよね。

編集者

そうですね。あと、紫外線がお肌にもたらす害がよく知られだしたのも平成以後です。そして美白ブームの到来。

おそら

単に「色白=美」ではなくて、肌を紫外線の害から守ったら白くなった、という流れですね。肌のためには良いことだと思いますよ。

N美

美白ブームなのに、ガングロ(顔黒)ヤマンバギャルとかも出たわね。あれはビックリだったわ...。

おそら

化粧品技術者としては、やっぱり2000年の原料規制緩和が印象ぶかいですね。化粧品に配合できる成分を自由に選べるようになって責任が重くなりましたが、その分やりがいも大きくアップしましたよ。

Y菜

化粧品の全成分表示がメーカーに義務づけられたのも平成になってからですよね、2001年だから。これがなかったころの敏感肌さんは大変だったろうな~。合わない成分が入っていても、買う前にチェックできないんだもん。

N美

そうよねぇ。なにが入っているか分からないものをお肌に塗るなんて、ずいぶん度胸のいいことしてたわね、私たち。

Y菜

そう考えると、化粧品の世界って、時代によってホントに大きく変わってますよね。多分、これからも...10年後20年後はどんな風になってるのかな。

N美

やっぱり良いほうに変わっててほしいわ~。身分で化粧法が決められたり、メイクのせいで身体を壊したり、国が個人のお化粧に口を出したり... そんなのイヤだもの。

おそら

同感ですね。みんなが安心してお化粧に励めたり、そのための製品作りに没頭できたりするのは幸せなことなんだ、と思います。

編集者

実はですね... 〆切り前の修羅場になるたび「化粧の時間が惜しい!」と叫んでいました。でも今後は心を入れ替えます(笑) では皆さま、今日はこの辺で。

(2011年10月初出)

チェックポイント

  • ◎「化粧」は、儀式のために顔や体に赤い色(赤土)を塗ることから始まった。
  • ◎飛鳥・奈良時代に唐から白粉が渡来し「色白=美」に。平安時代には暗い中でも引き立つ白化粧が発達。貴族の使う白粉は主に伊勢水銀が原料。化粧は個性の表現というより、身分や職業を表す義務のようなものに近かった。
  • ◎江戸時代は鉛から作る白粉が一般にも定着したが、鉛による中毒事故も発生。鬢付け油やヘチマ水など、各種化粧品の販売もあった。
  • ◎明治・大正にかけて女性の社会進出が進む。メイクにも工夫が生まれ、スキンケアに気を遣うようにも。
  • ◎昭和に入って鉛白粉製造が禁止になり、戦後には水銀白粉も廃れた。ファンデーションやクリームなど、新型コスメが登場。色白至上主義が終わり、日本女性独自の美しさを求めるように。科学の先端技術がコスメに応用される。
  • ◎平成になるとヘアカラーが一般的に。UV対策の定着。全成分表示の義務化始まる。原料の規制緩和により、メーカーの自由度も増した。
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